板ひとつ 界になせる 根の国に
父いますやと よへとこたえす


明治16年(1883)愛橘27歳 父稲蔵が郷里にて急逝したのが12月5日。知らせを受け8日午前6時に東京を発つ。東京から船を利用したものらしい。紹介の歌は、8日夜船中にて歌われたとある。
今なら新幹線を乗り継ぎ、5時間もあれば到着できるが、当時は1週間以上かかるのが普通だったようだ。
11日昼に盛岡へ着き、御堂から福岡までは二人引きのそりを利用したが、中山峠は雪深く道が見えぬほどだった。12日一戸で鶏の第一声を聞き、福岡には未明に到着した。と説明がある。
東京から福岡まで、わずか五日で着いたことになる。当時の状況を考えると驚異的な早さなのだが、それでもその五日間の愛橘博士の胸中を思うと、さぞかしつらく長い旅だったであろう。

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